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遠藤ミチロウ
1950 年、福島県二本松市に生まれる。
少年時代を福島県で過ごした後、山形大学へ進学。「東北地方のさらに奥である『北』へ行ってみたかった」というのが山形県へと向かった理由の1つであるらしい。大学時代はイベンターとしてフォークシンガーのライブを企画したり、山形市の花小路という飲食店街でロック喫茶『ジェスロタル』を経営したりしていた。また旅行も好きだったらしく、ヒッチハイクで山形から九州まで行ったという逸話もある。
大学卒業後、ベトナム等東南アジアを放浪。後東京へ上京し、友部正人のバックでベースを務めたり、 一人弾き語りをするうちに当時住んでいたアパートの前の喫茶店で流れていた
セックスピストルズ、パティスミスなどに感化を受け、そのアパートに住んでいた住人で 【コケシドール】というバンドを結成する。ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後、【バラシ】、【自閉体】を経て
1980 年6 月6 日ザ・スターリンを結成。 演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。 映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市』にも【マッドスターリン】という役名で
バンドとして出演している。映画の中で遠藤ミチロウは臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、 当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。
また石井聰亙はザ・スターリンのPV、ラストライブビデオの監督も務めた。
1982 年7 月1 日、徳間音工(現在の徳間ジャパン)からシングル『ロマンチスト』、アルバム『STOPJAP』でメジャーデビュー。
オリコン50 位内に食い込み、バンドのスキャンダラス性と共に話題になる。 翌年4 月25 日、メジャーセカンドアルバム『虫』を発表。その直後の5
月2 日に後楽園ホールにて超満員のライブを成功させる。 その時のオーディエンス録音のテープを元に、2005 年ライブ盤『絶望大快楽』が発表される。
一方で、1984 年自身初のソロアルバムである『ベトナム伝説』をカセットブック形式で発表。
1985 年2 月にザ・スターリンが解散した後、ソロプロジェクトを始動。 【ミチロウ,GET THE HELP!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマに三部作を発表。
後にTHEROOSTERZ のギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。
1987 年からは【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。
1989 年新生【スターリン】を結成し、アルファレコードとメジャー契約を果たす。
1990 年には西ベルリンのライブハウス、ポーランドのロック・フェスティバルにも出演。
1993 年【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1
本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map
150」で紹介している。
2001 年正月、奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEYJETCITY のドラマーであり、 元ザ・スターリンのドラマーであった中村達也と邂逅し、
奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。 これを機にそれまでソロとして活動を続けていたミチロウであったが、 中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。2002
年には石塚俊明とのユニット【NOTALIN'S】の活動がスタート。 2003 年頃からチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活躍している。
また2004 年には、ミチロウを信奉するthee michelle gun elephant のドラマーであった クハラカズユキとのバンド【M.J.Q】が始動。
2005 年には東口トルエンズ、MOST の山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン> とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。
宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。
2005 年には自身の55 歳になる11 月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。 その模様はDVD『JUST LIKE
A BOY』に収められている。
2006 年には【M.J.Q】のファーストアルバム『unplugged punk』を発表し話題を集める。現在でも戸川純や町田康などの人物と共演したりと、年間ライブ100本以上の精力的な活動を続けている。
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